黄色の日常

だいたい楽しい

好きという感情はいつから権力を持ってしまったのか

SNSは手軽だ

好きなことについて簡単につぶやくことができる

嫌いなことはすぐにミュートしてブロックすることができる

でも、いつからだろうか

"好き"という感情がどんどん力を持つのを感じるようになった

今"好き"はとてつもない権力を持っている

それと同時に"嫌い"という感情は口に出してはいけないぐらいの単語になってきた

私は本来"好き"と"嫌い"は対等であるものだと思っている

"好き"を知っているから"嫌い"を知っている

"嫌い"を知っているから"好き"を知っている

だけど今"嫌い"は悪者でしかない

理由を聞くこともなく"嫌なら見るな"でねじ伏せられる

"好き"な人が"嫌い"を見ないように対策するのではなく

"嫌い"な人が"好き"を見ないようにするのがまるで当然かのような世界になっている

私はそこにおかしさを感じる

勘違いしてほしくないけれど誹謗中傷や好きと言っている人に直接嫌いですと返したりすることはこれとは別で故意に誰かを傷つけようとしている"嫌い"は許されることではない

ただ"嫌い"という感情を吐き出すことまで許されないほど"好き"が力を持っているのはやっぱりおかしいと思っている

なぜ"嫌い"なのか"好き"な側にも寄り添う気持ちは必要だと思っている

そして"好き"な人が"嫌い"を見ないようにするには"好き"な人を増やすことだと思う

そのためにも"嫌い"に寄り添うことは必要なことではないでしょうか